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オホーツク名所「モヨロ貝塚」について詳しく解説します

知床情報 オホーツク名所「モヨロ貝塚」について詳しく解説します

アイヌの歴史が色濃く残るオホーツク。そんなオホーツク地域の知床・網走には、まだまだ見るべきスポットがたくさんあります。

今回はオホーツク地域の名所の1つ、モヨロ貝塚についてご紹介します!

モヨロ貝塚とは?

モヨロ貝塚とは?

モヨロ貝塚は、北海道網走市にあるオホーツク文化を代表する遺跡です。網走川河口左岸、オホーツク海のそばに位置しており、国の史跡にも指定されています。

モヨロ貝塚は「最寄貝塚」とも書くことができ、この名前は当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことに由来し、1918年に米村喜男衛によって名付けられたそう。

モヨロとは、アイヌ語で「入江の内、あるいは入江の所」を意味しています。

当時の使い道としては、食べた貝の殻や動物の骨などを捨てることに加えて、亡くなった方を埋葬する場所としても活用されていました。

発見の歴史

時は1913年(大正2年)、網走を訪れた青森県のアマチュア考古学者研究者、米村喜男衛が発見し、学会に報告。発見した土器から縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化の存在を知った米村は、網走に住むことを決めて米村理髪店を開業。理髪店を営む傍らで遺跡の調査と研究に携わりました。

大正時代には、この遺跡の文化が北方の独特なものであるということ以外はわかりませんでした。1933年(昭和8年)になると、オホーツク海沿岸に広がる文化が、同時代の北海道の文化とは別のものであるとみなされるようになりました。それが、今日でいうところのオホーツク文化です。

 遺物の保存や展示を目的として、1936年(昭和11年)、網走には北見郷土館(現:網走市率郷土博物館)が建てられました。同年12月16日、モヨロ貝塚は国の史跡に指定されます。

モヨロ貝塚の現在

1941年からは発掘が数回にわたって行われ、100体を超える人骨と多量の土器、石器、骨角器、金属器などが出土。平成期での発掘では約80基の墓が密集して発見されました。

そしてモヨロ貝塚は現在、モヨロ貝塚館を中心にした公園として整備されて、オホーツク文化を知る貴重な観光スポットとして管理・運営されています。

モヨロ貝塚館にも訪れるのがおすすめ

モヨロ貝塚館にも訪れるのがおすすめ

モヨロ貝塚館は、モヨロ貝塚の復元模型やオホーツク文化に関するさまざまな資料を展示する博物館。貝塚や遺跡を周遊する回路も整備されており、気軽にオホーツク文化を体感することができます!

2013年には建て替えが実施され、同年5月1日には新館が開館しました。

スタッフの方が温かく迎え入れてくれ、時にはおもしろい解説もしてくれます。入館料300円の割に見応えもばっちり。知床・網走近辺にお越しの際は、ぜひ足を運んでみてくださいね!

まとめ

この記事では、モヨロ貝塚についてご紹介しました!モヨロという名はアイヌ語に由来して付けられたそうですが、モヨロ貝塚周辺で暮らしていた人々は、北海道文化にもアイヌ文化にも属さない人々だったそうです。

このどちらにも属さないオホーツク文化を体感したいという方はぜひ、網走のモヨロ貝塚まで足を運んでみてください。

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