しじみと日本の食文化の歴史。縄文時代から親しまれている身近な食材

しじみの特徴 しじみと日本の食文化の歴史。縄文時代から親しまれている身近な食材

「しじみって日本人にとって何なんだ!?」

そんなことをつい考えてしまうのは、しじみバカゆえだからなのか。というわけで今回は、しじみと日本人の食文化の歴史をテーマに掘り下げてみようと思います。

多くの貝塚からしじみの殻が見つかった縄文時代

多くの貝塚からしじみの殻が見つかった縄文時代

実は縄文時代よりも以前の時代から、日本人はしじみを食していたことが考古学的に判明しています。岩手県にある約5万年前の瓢箪遺跡や、約2万年前に存在した大分県の岩戸遺跡からは、たくさんのしじみの化石が見つかっています。

そして縄文時代に入ると、さらにしじみの食文化が全国に広まっていったようです。縄文時代黎明期(紀元前5000年頃)、地球の気温がだんだんと暖かくなり、海面が上昇する「縄文海進」が起こると、日本のあちこちに海水が入り込む「内湾」が形成されていきました。

しじみは河の淡水だけでなく、淡水と海水が混ざり合う汽水域にも生息する生き物ですから、縄文海進に伴い、生息地を拡大し、当時の人々の漁獲量も増大していきました。その証拠に、全国の貝塚からたくさんのしじみの殻が見つかっています。

日本人がしじみのみそ汁を飲んで「くぅ~沁みる!」と感じるのは、DNAレベルでしじみの美味しさを知っているからなのかも!?

その後も、さらに時代が進み、平安時代になると、貴族の食事としてしじみが提供されるようになっていきました。もちろん庶民もしじみを食べていたはずですが、貴族の漆塗りの食器にしじみが盛られているのを想像すると、普段見慣れている僕も、やんごとない気持ちになってきますね(笑)

落語のネタにもなっていた江戸時代のしじみ文化

落語のネタにもなっていた江戸時代のしじみ文化

戦のない平和な江戸時代は、庶民の文化が花開きます。しじみはすっかり人々の食文化として定着しており、みそ汁の定番具材として親しまれていたようです。江戸末期には、「蜆売り(しじみうり)」という落語の重要なオチを担うほど活躍しています。

もともと蜆売りという商売は、お金に困っている人々の生活を支える大事な収入源の一つでした。「貧乏暇なししじみ売り」と句が詠まれているほどです。江戸時代のしじみは、食文化と人々の生活を支えていたんですね。

当たり前が当たり前ではない!?現代のしじみ事情

当たり前が当たり前ではない!?現代のしじみ事情

さて現代の日本人は、どんなふうにしじみと関わっているのでしょうか。さすがにあの「蜆売り」はどこにも見当たりませんが、全国各地にいるしじみ漁師が食文化を守っています。お店にいけば、必ずしじみを見つけることができるのは、先祖代々しじみ漁を継承してきた人たちがいるおかげなんです。

しかし残念ながら、昔に比べると、現代のしじみ漁獲量は減ってきています。もともとしじみは、水質の変化に非常に敏感な生き物です。塩分濃度が変化するだけで生産量に影響が及ぶため、いまではほとんどしじみが獲れなくなってしまった場所も少なくありません。

「しじみはダシに使う食材」というイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、しじみは太古の昔から日本人と共にあった自然のめぐみです。食べてこそ、しじみの本当の美味しさを知ることができるのです。

これからも嶋田漁業部は、日本や世界中の人々にしじみの魅力を知ってもらうために、網走湖の中心から全国に情報を発信していきたいと思っています!

ブログも更新していますので、ぜひチェックしてみてくださいね。

ページTOPへ戻る